録月

これからおはようの方もおやすみの方もこんにちは、こんばんは、逸見しぬこです。忙しいので面倒くさいので手短に話そうと思う。ここ最近のメンヘラ達はどうもきな臭い。「ツイフェミさん乙wwww」とか「なんとか花の時はお通夜モードで誹謗中傷はいけないね学級会だったのにアンジャッシュ渡部叩くのかよ」とか言ってる場合じゃない。お前らもだよ。気づけよ。端的に言えば、メンヘラのインフレーションが起こってしまっているという事だ。

「異常者が一番偉い」

Twitterヒエラルキーは大体そんなもんだが、ここは特に酷い。最初はリストカットが偉い!可哀想!だったのが次にOD、閉鎖病棟ICU...etc。特にODは未成年が親の金でアメリカやらシンガポールから薬輸入して飲んでる始末である。

1番私が恐れているのが、これが超えてはいけない一線を棒高跳びして実際の犯罪を犯してしまう事、また最終的なメンヘラの終着点が「自殺」に行き着いてしまう事だ。

メンヘラは大体感受性が豊かで、優しい人間が多い。倫理観の有無は置いておいて。というか心が弱い。だから淘汰されたり人生の奈落の底にうっかり落ちてしまったりするのだ。あと人の目を気にしてしまうから流されやすい。「○○さんがやってたから私もやったら認めてくれるかな」、なんて思考に至ってしまう事なんてざらで、それが犯罪となると冗談では済まないのである。自殺も然り。

「なかいきあかちゃん」を貴方は覚えているだろうか、最近命日だったらしいが。自殺配信をして私鉄大和郡山の線路に身を投げた女子高生である。彼女の死から大体2年くらいは経つだろうか、未だに彼女の名前で検索をかければ「彼女のようになりたい」というツイートがゴロッゴロ出てくる。実際にそれで亡くなった人間は少ないだろうが、少なくとも彼女も、影響を受けているメンヘラ達も、

「死ななくては誰も助けてくれない、救ってくれない」

という思考を持ってしまっているのである。

私は、それは無意識に生まれた集団心理であり、本当の意思ではないと考える。人は誰だって死にたくなんてないのである。当たり前の事だ。誰かに流されて、または生まれてしまった希死念慮の為に若い命を落とすだなんてあまりに惨い、悲しい事だ。私は少なくとも、少なくともフォロワーにそんな結末を迎えさせたくない。

 

長々とごめんね、結論を最後に言わせてもらうと難しい話だが、どうかもう少し「待って」欲しい。感受性や優しさは大切なものだが、時に本人を蝕む恐ろしい存在にもなりうるのだ。

 

 

 

おわり。文章ぐっちゃぐちゃだが許して欲しい。

 

悟月

夏初月の終わり、世の中は疫病に狂い、テレビニュースのトピックは連日お祭り騒ぎだ。私はその祭囃子に乗ることは無くただ平凡な日々を過ごす、やるべき事、やらなきゃいけない事、忘れてはいけないものをこの喧騒を言い訳にして。

私は淡い雲の上に寝転びながら「幸福」とは何か、と虚空に尋ねる。空は何も言葉を返してはくれない。ただただ私を優しく、生温く包んでくれるだけであった。次に「自分」とは何か、と空に尋ねる。すると、「君には程遠い言葉だね」とくすくす笑った。

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ナイフを、捨てる。あの雲は幸福なんかじゃなく、生温く濁ったただの空気に過ぎなかった。「残念だね」どこからか声がする。私はぶんぶんと頭を振った。汚れた手で顔を拭って私はまだまだ進む。いや、進まされてるのかもしれない。惰性で藻掻き、苦しみ、幸福を求め続ける私は憐れに見えるのだろうか。構わない、私は雲の亡骸を右手に無意味かもしれない、ただ煮え滾る感情を抑えるための1歩をまた踏み出した。

 

5月、高かったワンピースは着れないまま終わりそうです。

何者

私はTwitterというSNSを始めてもうじき丁度6年になる。

(1年規約違反してるけど)

最初はおませな友人から勧められインストールしたまま放置していた。ちゃおとか読んでたので。メゾピアノとか着てたので。

色々あって私が熱烈なオタクになってからまた日の目を浴びる事となったのが第1のアカウントである。

 

まあ酷いよね。

 

 

アイコン無断転載!也(なりきり)!メカクシ団!という今となっては幻の存在と化してるTwitterアクティビティを全てコンプリートしてました。いわゆる厨二病ってやつです。白いイヤホンを耳に当てて少しニヤッとして合図するやつです。当時はガチで楽しかった。マジで。

学校から帰ってきたらまずTwitterを開いてTLをチェック。FFは2桁と少ない方だったが無邪気に毎日を過ごしてた。周りに咎める人も居なかったし荒らしとかも日常茶飯事でした。アカウントも当時(2016年くらい)量産できたんでアホみたいな数作ってました。

ところがある日その当たり前の日常が壊れる時が来た。進学先の(中学)友人からの発言に一同(1人)驚愕。

 

「痛くね?それ」

 

そこから「痛くないツイート」を意識し始め、

  • 無断転載は悪
  • 顔文字は乱用しない
  • Simejiを使うな

を三原則としてちまちました日常ツイートや絵を描き始めたのが第2のアカウントである。なんとか炎上せず、2.3年ほどツイートし続けられました。まだまだ隙あらば自分語り続くよ。

当時私はとある版権界隈に居たのだが、これまた酷い。トレパク、ファンのマナー...etc

毎日が学級会でした。人間は愚か。そこで私がとった行動は、「委員長を務めて悪を叩く」

 

やっぱ痛いじゃねーか

 

ただその時は自身の行動が痛いことに気づいてはいたのである。弱冠14歳、気持ちと行動が上手く噛み合ってなかったのである。「何とかしようとするけどやっぱ痛くなる」が今客観的に自分を見た感想。仕方ないね。リアル中2だし。でも変化してるっちゃしてる。信じて。

 

 

 

ここで私のツイ活(Twitter生活)は一変する。f:id:Mq4Vrp:20200411213018p:image

 

そう、アンチの発生である。どうやら私は「メンヘラ」というカテゴリに該当するらしい。そう気づいたのがこの時。たぬきとかいう闇が深いサイトに私のスレが立ったのです。(↑当時の名前です。かわいいね。)

そもそもメンヘラという言葉を耳にしたことはあるがいざ自分だと言われると調べない訳にはいかず調べた私。

メンヘラ=精神病を持っている、また粘着質な人間のことを指す

 

殺すぞナメやがって

 

ただ、この頃学校で上手くいかず、というか友人のうまーい策略に引っかかって学校全体を敵に回してしまって学校に通えず、電車にも乗れず、で見えざるものが何故か見えるようになっていたのでアンチの大正解だったのである。アンチはファン以上ってほんとだね。

統合失調症」「双極性障害

という名札が私についたのもこの頃である。

いわゆる不登校となった私は家で学習するなりなんなりして前向きに生きてく予定、だった。ここで私は最悪の出会いを果たすのである。

 

「皆様、よき倫理を!」

 

どこから見つけたかは知らない。知りたくない。ちょっと前のインターネットアイドル「メンヘラ神」との遭遇である。不登校決め込んで人生設計が全て崩れた私にはとても刺激的すぎる出会いだった。当時抱いた感想は、紛れもなく「羨望」であった。既に故人だった彼女のツイート、ブログ、全てに惹かれ私はアカウントを作った。これが今現在のアカウント、第3のアカウント。最初は閲覧するだけのアカウントだった。「メンヘラ神」「はるしにゃん」「流血沙汰子」「複素数太郎」

ツイートを見れば見るほど惹かれ、いつからか自分も二番煎じのようなツイートをし始めたのである。「逸見しぬこ」の誕生である。ぱちぱちぱち。次々とそれらしきツイートをしてるアカウントをフォローし、次第にコミュニティのある程度を把握し(多分ね)、私は「メンヘラ界隈」とやらの隅っこに佇むようになった。ここで得たものは皮肉にも多く、社会の汚さ、若者が抱える闇、精神疾患を持つ人間の生きづらさ、様々な「闇」を垣間見た私はずるずる足を引き摺られてメンヘラトークを繰り広げ始めた。最初は2ふぁぼ程だったのが徐々にFFの数と共に増えてきて私は必死にいいね!を稼ごうとTLを見て学習し、人にウケるツイートをし続けた。もうこの頃には私の精神は朽ち果てていて、自殺未遂を度々起こして呆れた親に精神病棟にぶち込まれたり、解離性障害を患い、いきなり知らないところで寝てたりと順調に人生のアーチ橋の煉瓦は音を立てて崩れ始めたのです。

とある朝、ふと脳裏に浮かんだ言葉は残酷にも正しく、どうにもならないものだった。

 

私ってなんだろう、何者にもなれないんじゃないか?

 

人の後を追いかけ続けて、人生を捨ててまで作り上げた私のツイートはまさしく「ゴミ」そのものである事に気づいたのである。あまりにも遅すぎる気づきであった。

 

 

長々と自分語りを展開したが、最後に。

中学に入る前の幼い私が最近脳裏に現れるようになった。幻覚かもしれない。彼女は悲しそうな顔をして言う、

「あなたには何も残ってないよ」

本当にそうだ。何者にもなれず決して捕まえられない幻影を追い求めた私は全く愚かだった。私は何も考えず、ただ笑顔でいることを目的にしていた「痛い子」でもよかったのかもしれない。私は大切な宝物をインターネットの海に捨ててしまった。今想っても後悔先に立たずなのだが。

 

何者にもなれない、そう嘆く貴方に私は強く懇願したい。

 

「大切な宝物をどうか見失わないで」

 

 

私はこれからも生温い幸福に浸る為ツイートを続けるだろう、その先に待つ破滅を見えないフリしながら。SNSは時にコカインより酷く、残酷なドラッグにもなりうるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

おわり。

 

 

 

 

死月

辛くて苦しくて凍てつくような、冬が終わった。いつしか私の耳元で甘い言葉を囁く天使様も冷たい突風に流されて消えてしまった。「私も消えたいよ」

なんて呟いてもなにも現実は変わらない。ただ私は霞む手すりの無い階段を淡々と登る。その先に何かあると信じて。残酷に「今」は流れていく。必死に幸福を惰性に任せて追い求める私を置いて。

 

4月、薄桃色の枝垂桜、弾むピチカート、段々遠のくあなたの笑顔

 

きっと雲の上に理想郷なんて無い。重たい空気と何処からか垂れ下がるロープしか無いのだ。それでも私は歩き続ける、「私」は休符なんて要らない、メトロノームの音に身を任せて緩やかな不幸へと下っていくのかもしれない。分かってるよ、私には全部が理解出来るから