何者

私はTwitterというSNSを始めてもうじき丁度6年になる。

(1年規約違反してるけど)

最初はおませな友人から勧められインストールしたまま放置していた。ちゃおとか読んでたので。メゾピアノとか着てたので。

色々あって私が熱烈なオタクになってからまた日の目を浴びる事となったのが第1のアカウントである。

 

まあ酷いよね。

 

 

アイコン無断転載!也(なりきり)!メカクシ団!という今となっては幻の存在と化してるTwitterアクティビティを全てコンプリートしてました。いわゆる厨二病ってやつです。白いイヤホンを耳に当てて少しニヤッとして合図するやつです。当時はガチで楽しかった。マジで。

学校から帰ってきたらまずTwitterを開いてTLをチェック。FFは2桁と少ない方だったが無邪気に毎日を過ごしてた。周りに咎める人も居なかったし荒らしとかも日常茶飯事でした。アカウントも当時(2016年くらい)量産できたんでアホみたいな数作ってました。

ところがある日その当たり前の日常が壊れる時が来た。進学先の(中学)友人からの発言に一同(1人)驚愕。

 

「痛くね?それ」

 

そこから「痛くないツイート」を意識し始め、

  • 無断転載は悪
  • 顔文字は乱用しない
  • Simejiを使うな

を三原則としてちまちました日常ツイートや絵を描き始めたのが第2のアカウントである。なんとか炎上せず、2.3年ほどツイートし続けられました。まだまだ隙あらば自分語り続くよ。

当時私はとある版権界隈に居たのだが、これまた酷い。トレパク、ファンのマナー...etc

毎日が学級会でした。人間は愚か。そこで私がとった行動は、「委員長を務めて悪を叩く」

 

やっぱ痛いじゃねーか

 

ただその時は自身の行動が痛いことに気づいてはいたのである。弱冠14歳、気持ちと行動が上手く噛み合ってなかったのである。「何とかしようとするけどやっぱ痛くなる」が今客観的に自分を見た感想。仕方ないね。リアル中2だし。でも変化してるっちゃしてる。信じて。

 

 

 

ここで私のツイ活(Twitter生活)は一変する。f:id:Mq4Vrp:20200411213018p:image

 

そう、アンチの発生である。どうやら私は「メンヘラ」というカテゴリに該当するらしい。そう気づいたのがこの時。たぬきとかいう闇が深いサイトに私のスレが立ったのです。(↑当時の名前です。かわいいね。)

そもそもメンヘラという言葉を耳にしたことはあるがいざ自分だと言われると調べない訳にはいかず調べた私。

メンヘラ=精神病を持っている、また粘着質な人間のことを指す

 

殺すぞナメやがって

 

ただ、この頃学校で上手くいかず、というか友人のうまーい策略に引っかかって学校全体を敵に回してしまって学校に通えず、電車にも乗れず、で見えざるものが何故か見えるようになっていたのでアンチの大正解だったのである。アンチはファン以上ってほんとだね。

統合失調症」「双極性障害

という名札が私についたのもこの頃である。

いわゆる不登校となった私は家で学習するなりなんなりして前向きに生きてく予定、だった。ここで私は最悪の出会いを果たすのである。

 

「皆様、よき倫理を!」

 

どこから見つけたかは知らない。知りたくない。ちょっと前のインターネットアイドル「メンヘラ神」との遭遇である。不登校決め込んで人生設計が全て崩れた私にはとても刺激的すぎる出会いだった。当時抱いた感想は、紛れもなく「羨望」であった。既に故人だった彼女のツイート、ブログ、全てに惹かれ私はアカウントを作った。これが今現在のアカウント、第3のアカウント。最初は閲覧するだけのアカウントだった。「メンヘラ神」「はるしにゃん」「流血沙汰子」「複素数太郎」

ツイートを見れば見るほど惹かれ、いつからか自分も二番煎じのようなツイートをし始めたのである。「逸見しぬこ」の誕生である。ぱちぱちぱち。次々とそれらしきツイートをしてるアカウントをフォローし、次第にコミュニティのある程度を把握し(多分ね)、私は「メンヘラ界隈」とやらの隅っこに佇むようになった。ここで得たものは皮肉にも多く、社会の汚さ、若者が抱える闇、精神疾患を持つ人間の生きづらさ、様々な「闇」を垣間見た私はずるずる足を引き摺られてメンヘラトークを繰り広げ始めた。最初は2ふぁぼ程だったのが徐々にFFの数と共に増えてきて私は必死にいいね!を稼ごうとTLを見て学習し、人にウケるツイートをし続けた。もうこの頃には私の精神は朽ち果てていて、自殺未遂を度々起こして呆れた親に精神病棟にぶち込まれたり、解離性障害を患い、いきなり知らないところで寝てたりと順調に人生のアーチ橋の煉瓦は音を立てて崩れ始めたのです。

とある朝、ふと脳裏に浮かんだ言葉は残酷にも正しく、どうにもならないものだった。

 

私ってなんだろう、何者にもなれないんじゃないか?

 

人の後を追いかけ続けて、人生を捨ててまで作り上げた私のツイートはまさしく「ゴミ」そのものである事に気づいたのである。あまりにも遅すぎる気づきであった。

 

 

長々と自分語りを展開したが、最後に。

中学に入る前の幼い私が最近脳裏に現れるようになった。幻覚かもしれない。彼女は悲しそうな顔をして言う、

「あなたには何も残ってないよ」

本当にそうだ。何者にもなれず決して捕まえられない幻影を追い求めた私は全く愚かだった。私は何も考えず、ただ笑顔でいることを目的にしていた「痛い子」でもよかったのかもしれない。私は大切な宝物をインターネットの海に捨ててしまった。今想っても後悔先に立たずなのだが。

 

何者にもなれない、そう嘆く貴方に私は強く懇願したい。

 

「大切な宝物をどうか見失わないで」

 

 

私はこれからも生温い幸福に浸る為ツイートを続けるだろう、その先に待つ破滅を見えないフリしながら。SNSは時にコカインより酷く、残酷なドラッグにもなりうるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

おわり。